2010年11月10日水曜日

マザーウォーター

水曜日のレディースデーは映画鑑賞。

「マザーウォーター」は、「かもめ食堂」「めがね」「プール」に続く、人と場所の関わりをテーマにした癒し系映画。今回の場所は京都の片隅。ウィスキーしか置かないバー、コーヒーショップ、手作り豆腐屋、風呂屋、鴨川が主な登場場面で、共に“水”を扱う商売と場所である。それぞれの女店主である小林聡美、小泉今日子、市川実日子、そして全ての人々と絡む婆さん・もたいまさこが、言葉少なに、まったりと関わっていく様子がずっと続いていく。台詞が少ない分、水の音、風の音、鳥の声等々が強調され、効果的に使われている。音で気が引かれるのと同様、視覚的には“椅子”が目を引く。場面々々で使われているアンティークの椅子が、その場所に行って座ってみたい思いに駆られる。

好き嫌いが分かれそうな映画であるが、私は、このシリーズが大好きである。

2010年10月30日土曜日

大磯茶会

大磯茶会は、大磯近辺にお住まいの数寄茶人が集まり、年に一度催される茶会である。

場所は大磯駅前の松月。1ヶ月前に伺った時の料理の美味しさが忘れられず、大磯在住でないにもかかわらず、ずうずうしくも仲間に入れていただいた。大磯は、昔は名士の別荘地だった土地柄ということもあり、今でも著名な方々が多くお住まいのようである。大磯茶会は、茶の流派にこだわらず、現代の数寄者により、再び大磯の地で茶の湯を盛り上げようと立ち上げられた集まりである。さすがに、お世話人には名の知れた面々が連なっており、歴史文化の豊かさを感じさせられる。

今年は、濃茶席を山田宗偏流家元、薄茶席を国会議員・河野太郎氏が受け持たれた。裏千家流を学んでいる私にとっては、宗偏流の作法は馴染みがなく、とまどうことも少なからずあったが、家元はじめ皆様が暖かく受け入れてくださったお陰で、緊張することもなく、楽しく過ごすことができた。使われた道具は、時代の付いた、侘び茶に相応しい取り合わせで、一服の茶をいただくだけなのに、何とも贅沢な時間と空間を頂戴した気分である。薄茶席は、小学2年生の女の子が点前をされた。小さい身体で一所懸命に点前をする姿は微笑ましく、拝見しているだけでご馳走をいただいた気分である。

台風14号が接近している中での茶会であったが、松月の中は別世界であった。綺麗な着物を着て、美味しい料理をいただき、様々な美術品を拝見できるのは、とても贅沢な気分であった。

2010年10月24日日曜日

四ツ頭茶会

鎌倉・建長寺で催された四ツ頭茶会に赴いた。
四ツ頭とは何ぞや?と思いつつ、茶会という響きに魅力を感じ、誘われるままに出向いた。

当日は4時半起床。暗い中で身支度を整え、8時半には北鎌倉駅に到着。先に到着していた茶友・みさピョン&ユミは、「一生分の着物を見た」と云うくらい、掃いて捨てるほどの着物姿を見送ったらしい。

説明書によると、『四ツ頭茶会は、中国の宋・元時代に禅院で行われた茶礼作法で、鎌倉時代に我が国に禅と共に伝えられ、禅院での法式・作法等を規定した清規(しんぎ)に従う厳粛な礼法であり、侘び茶の源流ともなっている』ものらしい。

どんな茶礼作法か簡単に述べると、
①部屋は、正方形の大広間である。
②客は9名ずつ4グループに分かれ、グループ毎の正客を主位・賓位・主対位・賓対位と呼び、各位を「頭(とう)」と称す。⇒これで「四ツ頭」
③4グループは、座鑑(座奉行)に従い順次入室し、四隅の角を中心にカギ状に広がり、部屋中央を向いて着座する。
④供給(くきょう・僧侶)から、客全員に菓子(縁高)と茶碗(天目台)が配られる。
⑤縁高には、干菓子2個と、椿の葉の上に極小の黒文字が真上から刺さった甘辛く煮たコンニャクが一切れ盛られている。
⑥茶碗の中には、適量の抹茶が入っている。
⑦右手に茶筅、左手に浄瓶を持った供給(僧侶)が自分の前にきたら、天目台ごと茶碗を自分の胸の高さに持ち上げる。
⑧供給(僧侶)は、立ったまま左手の浄瓶から湯を注ぎ、右手の茶筅で茶を点てる。
⑨客は、供給(僧侶)の点てる力に負けないよう、両手で必死に天目台を掲げ支える。
⑨客は、次客の茶が点て終わったら、縁高を持ち上げ、コンニャクだけを食べ、残りの干菓子と葉っぱは包んで持ち帰る。コンニャクを食べ終わったら、天目台ごと茶碗を持ち上げ茶を喫する。
⑩客全員が飲み終わったら、供給(僧侶)は、縁高と茶碗を下げる。
⑪座鑑(座奉行)に従い退室。

何とも変わった作法である。立ったまま茶を点てるってのは、どうなのよ。茶碗だけで良さそうなものなのに、天目台ごと持ち上げて茶を飲むって、どうなのよ。お行儀が良くないんじゃないの?と思うこともままあったが、まぁ、いろいろな作法があるものだと、面白く体験をさせていただいた。多くの流派では何かと畳に手を付きオジギをするが、四ツ頭はオジギがまったくない。オジギの代わりに合掌をする。禅寺の坊さんっぽい感じで、これは良し。

2010年10月17日日曜日

スクーリング 「考古学」

↑校舎前に展示された巨大な和紙のオブジェ。
この広場には、いつも何かしら生徒の作品が展示されていて楽しい。


昨年、歴女デビューした私は、どんどん過去に興味を持つようになり、とうとう考古学にまで手を染めてしまった。これまで、どんな遺跡を見ても「穴ぼこや崩れた石ころを見て、何が面白いのかしら?」と思っていた。変われば変わるものである。考古学と云われ思い浮かぶのは、炎天下、地面をチマチマと掘り返している姿である。地下深くで眠っている大昔の物を、時間をかけてワザワザ掘り起こさなくても良いのに・・・と思っていた。

考古学とは、過去のモノから、文化や歴史など過去の人々の営みを考える学問だそうである。なので、恐竜の化石の発掘は、考古学とは無関係らしい。地面を掘り返す姿から、同類かと思っていたが、全く違う分野なのである。過去の人々や生活について・・・なんて興味深いんでしょう。これまでは、遺跡を見ても、ただ遺跡そのものを見ているだけだったから面白くなかったのである。遺跡を見て、当時の人々や暮らしの様を想像する力がなかったら、面白くないに決まっている。そうだったんだ・・・。

遺跡調査の手順(国内の場合)は、
①文化財保護法に基づき、文化庁に申請
②調査計画の具体化
③分布調査(踏査、古地図分析、聞取りetc.)
④予備調査(測量図の作成、探査etc.)
⑤発掘
⑥遺跡、遺構の記録
⑦遺物整理
⑧報告書の作成、出版
と、気の遠くなる作業である。

発掘した遺物、遺構が、いつの時代のモノかを決定するためには、
①相対年代決定法
  ・層位学的研究法
  ・型式学的研究法
②絶対年代決定法
  ・紀年銘資料
  ・理化学的年代測定法
といった方法があり、複数を組み合わせ検証を行いながら決定する。

いまだに、安らかに眠っている棺を掘り起こすのはどうかと思っているが、この地でこんな人達がこんな生活をおくっていたんだと想像するのは、何とも楽しいものである。

2010年10月8日金曜日

茶室に風呂

4月から始まった『茶の湯と現代~焼き物の世界』の講座が、とうとう最終回を迎えてしまった。和物、唐物、高麗物、現代物と続き、最終回は今日庵文庫長・筒井先生の「日本の美意識と茶陶」で終了である。

話し好きの筒井先生は、まるで見てきたかのように桃山時代や江戸時代の話をされる。昔々の数寄者達を、まるで旧知の友人のようにリアルに話される。話題がアッチコッチに飛ぶため、頭を切り替え、ついていくのが大変であるが、その世界に入り込んでしまえば、こんなに楽しい茶談義はない。

昔の数寄者ナンチャラ銀行頭取は、倒産しかかった銀行を、自らの茶道具を売って負債に充て、見事経営を立て直したという話。昔の数寄者ナンチャラ少年は、15歳の時から茶道具を安く買っては高く売り、一生働くことなく、楽しく過ごしたという話。どの話も面白く、昔々は、お気楽に趣味に生きた粋人が、そこここに居たことを楽しく拝聴した。

また、本来は、茶室の近くには風呂があるもので、前席のおもてなし(給仕)で汗をかいた亭主は、後席の前に一風呂浴びて、着物を着替えて、さっぱりとしてから客の前に登場するものらしい。表向きはなんとも余裕を感じさせる行為ではあるが、さぞや裏方は大忙しであろうと、想像すると汗だくになってしまう。

2010年10月2日土曜日

大円の草

略して「円草」。久し振りの相伝稽古だった。

裏千家茶道には、テキスト本が世に出回っていない点前がいくつかある。師匠から弟子に、口伝、相伝されるものである。難しい点前ではあるが、テキストがないぶん、皆、必死に覚えようとするから、(上手・下手は別として)かえってスラスラと出来てしまったりもする(とおっしゃる業躰先生がおられる)。相伝稽古で何より辛いのは、長時間の正座である。アレヤコレヤとヤヤコシイ所作が多いため、どうしても一点前が長くなる。先輩・同輩の点前の見学、自分の点前稽古、正客としての稽古、末客としての稽古等々、立場を替えて稽古するとなると、1日掛かり、8時間の正座の刑に処せられることになる。稽古が終われば、自らの体重を受けていた両足はペチャンコである。

いろいろな手があって楽しい点前ではあるが、実際の茶事や茶会では、まず登場することの無い点前であることを思うと、私は、濃茶と薄茶の平点前が綺麗にできれば充分である。

2010年9月28日火曜日

白萩の茶事

縁あって、湯河原にある人間国宝美術館長から、ご自宅で催す茶事にお誘いいただいた。

月1度、焼き物(陶磁器)の勉強会に参加しているが、5月の「唐物」の講師を担当されたのが館長であった。「前列中央で目をキラキラさせて聞いていたのが印象的だった」(先生談)らしく、講義が終わり、生徒がおおかた帰った頃、「良かったら、私の茶事にいらっしゃいませんか」とお誘いいただいたのだった。思いがけないお誘いであるが、「伺います」と即答したのであった。秋以降になるとおっしゃっていたが、6月には日程調整のお手紙をいただき、何度かの文通の末、この日を迎えることができた。

大磯の高台に在るご自宅は、それはそれは広かった。どこまでも続く手入れの行き届いた庭の先には相模湾が見下ろせ、何とも気持ちが良い。お仕事柄人脈が広く、茶室「蒼庵」も茶庭も、名立たる職人が手掛けたものらしい。手入れをしてくれる爺や婆やがいれば、そこに住みたいような家である。

流派にこだわらない、いわゆる数寄者の茶事は初めてである。使われている道具は、桃山時代の物やら、誰それが所持していた物やら、どこぞの有名寺院にあった物やらと、どれもが美術館で見るような名品ばかりである。数々の名品であるが、知識不足の私にはもったいない代物である。そんな様子を気にすることなく、「楽しめれば良いんですよ」と、どこまでも包容力のある御仁である。様々な著書があり、いろいろな場所で講義をされている館長は、知識が豊富で人脈が広く、そして話上手ときているから、それはそれは楽しい4時間であった。これまで経験したシーンと静まり返った、緊張感一杯の茶事とは大違いで、賑やかさと静寂を併せ持った、素晴しい茶事であった。

堅苦しい茶事しか知らなかった私は、どうせ写真を撮る機会なんてないだろうと思いカメラを持っていかなかった。大変残念ではあるが、またお誘いいただけることを期待して、今回は良しとしましょう。

2010年9月21日火曜日

チクチク和裁

とうとう和裁を習い始めた。

以前、造形大の自主学習会「彩」で、織り上げた着尺を展示するための仮絵羽仕立をマスターした。誤魔化しながらも展示できるまでに自分で仕立てられるようになったが、本仕立てとなるとそうはいかない。さりとて、決まった日時に教室に通うことは難しい。こんな時、昔だったら、近所のお婆ちゃんのところに行けば、チョコチョコっと教えてもらえるのにな、近くに誰かいないかなと探していたのだった。

そんな折、お茶の稽古の場で、先輩茶人が「年取ったから袖丈を詰めたの」とおっしゃった。もしや、とお聞きすると、和裁が出来るとのこと。浅草在住の先輩茶人は、近所の婆さまに少しずつ教えていただき、今では何でも出来るらしい。であればとお願いしたら、快く「良いわよ。いらっしゃ」と応諾して下さった。そんな我々の話を聞きつけた同輩茶人も仲間入りして、一気に生徒3人で開始である。

初回の和裁教室は、娘時代から着ている長襦袢の修理である。生地はしっかりしているものの、縫い糸が弱り、あちこち開き状態になってしまっている。適当に繕ってはみたものの、縫い方が違うらしく、しっかりしない。古いながらも想い出のある長襦袢なので、何とか復活させたいと思っていた。教えていただけばアッと云う間である。グシ縫い、絎け縫い、耳絎け縫いを教えていただけば、チョチョイのチョイである。家に持ち帰り、教えていただいた通りにチクチクすれば、完全復活。嬉しい。

旦那が小学生時代に家庭科の授業で使った裁縫箱を覗けば、絎け台やら指貫やらあるではないか。可愛くて思わず購入したテントウ虫の針山やウサギのメジャーも日の目を見ることになった。楽しい習い事が始まった。

2010年9月20日月曜日

福岡旅行

数年振りの本州脱出である。

旦那が学生時代にお世話になった大家さんが亡くなったという連絡があり、お焼香に伺うことになった。九州に出向くのは、たぶん15年振りくらいである。15年前の一人旅は、長崎、佐賀、大分を回っただけで福岡は通り過ぎてしまったように記憶している。お焼香が主目的ではあるが、この機会に旦那が過ごした街を散策するのも良かろうと、不謹慎ではあるが旅行気分一杯である。

我が家の旅行は、基本的に車移動である。そして観光名所にはほとんど立ち寄らず、その土地の空気を楽しむような過ごし方をする。今回、中1日はレンタカーを使ったものの、前後は電車・バス移動、そして観光名所らしき場所に数箇所行ったことが、画期的であった。大濠公園、友泉亭、楽水園、太宰府天満宮、志賀島と、短時間ではあったが、広範囲にわたり観光することができた。若かりし頃お世話になった大家さんの奥様、大学院研究室の恩師とも思いがけずお会いすることができた旦那は、とっても嬉しそうである。そんな姿を見て、私も何やら嬉しくなってしまう。

やっぱり旅は楽しいの~。無理をしてでも時間を作って出掛けたいものである。

2010年9月14日火曜日

鷲と鰯

久し振りに文楽を鑑賞した。今回の題目は、
・良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)
・鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ)

良弁杉由来は、奈良・東大寺二月堂にある良弁杉の由来を題材にした作品。
初演は、明治20年。
近江国志賀の里の茶園に遊びに来た渚の方は、亡き夫との間の一粒種である光丸を大鷲にさらわれてしまう。その後、30年の間、狂人となり乞食となりながらも我が子を探し続ける渚の方は、花見客で賑わう淀川の大江の岸で、「南都東大寺の良弁大僧正は、幼いころ大鷲にさらわれたが、成人して大学者になられた」という話を耳にする。急いで奈良に向かった渚の方は、東大寺の僧の親切で二月堂の前にある杉の大木の元で良弁僧正との対面が叶った。渚の方が光丸に持たせていた如意輪観音像を、僧正が大切に持っていたことから、親子であることが判明し、二人は抱き合って涙にくれた。めでたし、めでたし・・・。

鰯売恋曳網は、今年没後40年を迎える作家・三島由紀夫が、昭和29年に新作歌舞伎として書いたものを、今回、文楽用に書き下ろしたもの。
鰯売の猿源氏は、京の五条東洞院の傾城・蛍火に一目惚れしてしまった。父親と博労の協力のもと、猿源氏は関東の大名に成りすまし、郭に乗り込み、蛍火と楽しい一時を過ごした。ほろ酔い気分の猿源氏は、蛍火の膝枕でウトウトし、寝言で鰯売であることがばれそうになってしまった。取り繕った猿源氏に対し、何と、蛍火は、「昔聞いた鰯売の声が忘れられない。あの鰯売と夫婦になりたい・・・」とノタマッタのである。驚き、喜んだ猿源氏は、「実は、自分は鰯売だ」と正直に告げ、二人はめでたく夫婦になれたとさ。めでたし、めでたし・・・。

悲しい話、切ない話が多い文楽であるが、今回はめでたい話2本立てである。鷲、馬、蝶、鰯と、ふざけた動物がたくさん登場したのもご愛嬌であった。

2010年9月12日日曜日

スクーリング 「世界単位研究」

何やら聞き慣れない名前のスクーリングに参加した。場所は、7月にオープンした外苑キャンパス。さほど大きくはないが、神宮外苑の緑に囲まれた、シンプルではあるが小洒落た建物が、なかなか良い感じである。

世界単位研究は、地球世界を①生態系型、②ネットワーク型、③コスモロジー型の3つの類型に分けて考えてみようという内容である。ここ数年、海外旅行からトンとご無沙汰している私にとっては、世界地図を眺めながら、世界各地の話を聞けるだけで、なんともウキウキ気分に浸れた3日間であった。

そもそも地域研究という学問が始まったのは、ベトナム戦争がきっかけだったらしい。戦争に勝つためには相手国を知らなければならないということで、アメリカで研究が始まった。日本で地域研究が始まったのは、1960年頃、東南アジアに商品を売るためにはどうしたら良いかということで、国策として進められたそうな。純粋な興味として始まった研究ではなく、欲から生まれた学問と云ったところであろうか。

人間は、生まれ育った地域や文化により、基本的な考え方や行動が出来上がるものだと思う。戦争や侵略は、それぞれの土着の文化を無視し、侵略者の自分勝手な解釈により、その土地を無理のある姿に変容させてしまう。世界中の人々が、それぞれの土地の文化を尊重し合い、大切に育みながら共存できれば良いな・・・なんて思いましたとさ。

2010年9月8日水曜日

だいたい・・・

右腕のギプスが外れた。

右手首骨折から1ヶ月。ようやくギプスを外す日がやってきた。なにぶん初骨折なので、どういう風に進行していくのか全く分からない。診察室に入ると、医者に「その診察台に横になって」と云われた。腕のギプスを外すのに横になるんだ・・・・?なんて思いながらゴロン。すると看護士が新聞紙を持って登場した。医者は右腕の下に新聞紙をひき、なにやら工具を持ち出した。見ると、何と!電動丸ノコではないか。ギョッとした表情を見て取った医者は、「大丈夫。腕は切れないから」とのたまった。が、しかし、どこまで切るかは医者の腕に掛かっているではないか。いくら信頼している医者とは云え、丸ノコで腕を切られるなんて、本当に大丈夫なんだろうか。不安の中、腹をくくり、まな板の鯉となり、目をつぶる。まぁ、器用なもので(もともとギプスしか切れない鋸なんだろうか?)、見事にギプスだけを切断完了。「ふぅ~」と息をつく私に、「恐いよね~。まぁ、信じてもらうしかないんだよね~」とニコニコ顔の爺さん医者。血を見ることなく終わって良かったよ。

猛暑の中、1ヶ月ギプスで覆われていた右腕は、垢マミレで黒ずんでいたが、想像以上に普通の状態になっていた。「あ~、これでガンガン使えるようになったんだ」と喜んだのも束の間、レントゲン写真を見る爺さんから、「だいだい付きましたね。こんなもんです。完全に元通りになるのには後1ヶ月はかかります。ぼちぼち使ってください。」だと。そんなものなんだ。全治4週間の『全治』は、『完治』とは違うものらしい。

それにしても、1ヶ月分の垢の何と多量なことか。

2010年8月28日土曜日

奥多摩湖

先週の檜原村ドライブが気に入ったOTTOは、今週も檜原村方面に出掛けたいと言い出した。なんと4時半起床である。まるで、遠足を心待ちにしている小学生のようだ。それほどまでに望んでいるのならば、快く付き合うのがTUMAの役目ってものだろうと、5時半になんとか起き上がった。

今日も朝からうんざりするような快晴。車内はエアコンをガンガンに効かせているお陰で、かろうじて快適さを保っている。街を抜け、秋川渓谷を横目で眺め、檜原村の林道を走れば、開け放った窓から入ってくる涼やかな風を感じながら走行することができ、爽快そのものである。檜原村を通り抜けると奥多摩町に出る。山頂から眺める奥多摩湖は、少し水位が低いように見受けられるものの、緑色が混ざった青色が鮮やかで気持ちが良い。

そう云えば、20年程前、今は亡き親友KUWASHIMAと夏の盛りに奥多摩ハイキングに来て、ドラムカン橋をキャッキャッ云いながら渡ったっけ・・・。懐かしい思い出である。

2010年8月26日木曜日

半夏生

季節外れの半夏生を瓢の花入れに。

2010年8月22日日曜日

檜原村探訪

↑払沢(ほっさわ)の滝。

豊かな森に抱かれた秋川渓谷が、お気に入りの場所の一つである。今回は少しだけ足を延ばし、檜原村を訪ねた。檜原村は、東京都の西の端に位置し、面積の93%が森林、50を超える滝が点在する、自然豊かな場所である。我が家からは、混雑する五日市街道をゆっくり走っても2時間余りで行くことができる、お手軽日帰りスポットである。少しだけ山道を登り滝を眺め、少しだけ山道を下り川原でランチを楽しめば、気分は爽やか満点である。この週末は、村のお祭りだったようで、小学校の校庭に設けられたステージでは、地元の婆さん達が楽しげにカラオケに興じていたのもご愛嬌であろう。

次回は温泉旅館に宿をとり、食事とお風呂の楽しみも追加したいものである。

2010年8月20日金曜日

亀治郎の会

久し振りの歌舞伎鑑賞である。

本日の演目は、
・義経千本桜 二幕
   道行初音旅
   川連法眼館の場
・上州土産百両首 三幕

特段、市川亀治郎を贔屓にしているわけではないが、案内のチラシが送られてきたので、ちょっと行ってみた。今回は、ちょっと通ぶって3階3等席を確保。上から見下ろすと、1階の特等席や1等席は着物姿に着飾ったオバサマ集団が陣取っていたりする。3階席はと云うと、ただただ歌舞伎を楽しもうといった風情の普段着姿の1人客が多いようだ。私の隣席は、要所要所で「よっ、○○屋」なんて声を掛けるおじさんだった。ちょっとうるさいが、雰囲気としては悪くない。

義経千本桜の二幕は、人間に化けた子狐が、捕まり鼓にされた親狐を取り戻そうという内容である。文楽でも時々上演される、人気の演目である。狐のコミカルな演技が見せ場の一つである。若い亀治郎さん、体力に任せ子狐を演じきったが、芸全体としてはまだまだこれからと云ったところではないだろうか。多くの舞台を経験して、ますます技を磨き、芸の幅を広げていって欲しいものである。

2010年8月18日水曜日

鷹の爪

収穫は、3本。

数年前、長野の家で、唐辛子の木を初めて目にした。その1本の木は、高さ1m弱、無数の枝をバランス良く張り巡らし、上部は両腕が回しきれないほどワサワサと葉を繁らせていた。そして、緑の葉と競うように、真っ赤な唐辛子が数百個は付いているであろうと思われるほど、たわわに実っていた。1本の木から、これほど沢山の実が収穫できるものかと、感動したものである。

今年のGW頃、毎年恒例のシソやバジル等の夏の香草と一緒に、初めて唐辛子の苗を購入。どれも1苗98円。以前見た唐辛子の姿を思い浮かべながら、毎日水遣りに精を出した。が、一向に成長しない。ようやく小さな花が1つ2つ3つ付きはしたが、どうも様子が違う。辛抱強く見守り続けたが、そろそろ限界のようである。花が3つ咲き、実が3つ生った。当然の結果であるが、ちと淋しい。何かが違うようだ。

2010年8月9日月曜日

右手首骨折

やってしもうた・・・・・。
人生初骨折である。

暑い中、自転車で出掛けた。最近お気に入りの Bakery & Cafe CROWN でサンドイッチとクリームパンとコーヒーを楽しみながら読書をし、読み終わった本を返しに図書館へ。その後、気になっていた肉屋マイスタームラカミに寄って自家製ソーセージを購入。「今夜はソーセージとビールだぁい!」と浮かれたのがいけなかったのかも知れない。

急なS字カーブを、自分の腕前を忘れ、格好つけ、調子づいて、クルクルッと回転しようとしてしまったのだ。前回、同じところを上手に回れたので、何てことはないと甘く見てしまったのがいけなかった。身体を倒しすぎて、見事に転倒。右足が出ず、右腕から地面に叩き付けられてしまった。あ~、情けなや。

何が悲しいかって、骨折そのものよりも、①とっさに足が出なかった事、②自分の身体の重みで腕を痛めた事、③手をついたごときで骨折した事がショックである。とうとう婆さんの仲間入りなのかしら・・・・。

2010年8月8日日曜日

湘南弦楽合奏団

久し振りのクラシックコンサートを聴きに。
場所は、桜木町にある神奈川県立音楽堂。

湘南弦楽合奏団は、湘南地方で活動しているアマチュアの弦楽オーケストラです。友人が入団しているため、時々ご招待に与っている。第46回目の演目は、

ヴィラ=ロボス ・・・ ブラジル風バッハ第9番
バッハ ・・・ ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調
バッハ ・・・ ブランデンブルク協奏曲第2番ヘ長調
バーバー ・・・ 弦楽のためのアダージョ
レスピーギ ・・・ リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲

アマチュアとは思えない音と纏りに、毎回感服している。弦楽奏好きの私には、満足の2時間であった。今回は、弦楽器に加え、ゲストとしてリコーダー、トランペット、オーボエの管楽器が参加した。リコーダーとオーボエの優しい音色は弦楽器達と調和していたが、トランペットが頑張りすぎで、浮いていたように感じられ、少々残念であった。いろいろと試み、楽しみながら活動されているんだと思うが、弦楽合奏団は、弦楽器だけで聴かせて欲しいものだと思ってしまった。

2010年6月22日火曜日

茗荷竹

生姜のような竹のような・・・

月に1~2度、長野から季節の野菜が送られてくる。近所で買った新鮮野菜も助かるが、庭先や裏山に自然発生した露地物を摘んで送ってくれるのがなんとも嬉しい。今回は、庭の竹林から朝採りしたと思われる筍が、ダンボール箱の底に大量に詰められていた。箱の一番上には、何やら見慣れない野菜らしきものが乗っていた。いつもなら添えられえいる手紙がなく、スッとした姿と香りの正体が分からない。送り主に電話して聞くと、『(何の事かの前触れもなく、唐突に)分からなかったでしょ。手紙書いてたんだけど、お風呂(温泉)に誘われて、急いで出掛けちゃったもので、(手紙を)入れるの忘れちゃって。』との事。

長々と、この野菜にまつわる話を聞いた後、ようやく正体を明かしてくれた。どうやら『ミョウガタケ』と呼んでいる物らしい。これが成長し、木の根元あたりにできるのがミョウガなのだそうだ。ミョウガがどんな風に出来るのか知らない私にはピンとこないが、こいつは、ミョウガの木の新芽ということなんだろうと思う。白いところ(青いところも食べられるらしい)を刻むと薬味になるらしい。送り主は好きではないそうで、毎年、採っては捨てていたらしいのだが、たまには珍しい物を送ってみようと入れてくださったそうな。食べてみると、ミョウガほどエグミがなく、爽やかな夏の香りと食感が楽しめるものであった。薬味好きには嬉しい一品である。

2010年6月9日水曜日

旧麻布区役所庁舎

都市空間研究の提出課題の中に、『自分の住んでいる街の近代建築をレポートせよ』と云うものがある。カメラを首にぶら下げ、レトロな建物探索にイザ出発。

我が街の近代建築(幕末から昭和戦前に建てられた建造物)と云われ、まず思い浮かんだのは旧山本有三記念館(1926年竣工)、そして国立天文台(1921年以降竣工)である。山本有三邸は、広い庭に囲まれた瀟洒な洋館で、「大正時代にこんな立派な家に住んでたなんて・・・。作家って儲かる商売だったのかしら・・・」なんて思わせるような優雅な邸宅である。国立天文台は、森の中に点在する秘密基地のようで、天体観測用のドームからは、夜な夜な怪しい飛行物体が出入りしてそうな雰囲気である。

こんな有名処はつまらない。他に無いのかしら・・・。と思い至ったのが、JR武蔵境駅近くにある日本獣医生命科学大学の建物である。高架を走る電車から見下ろすと、赤い屋根が可愛らしく、明らかに他の校舎とは異質な建物である。近くで見ても、塔屋があったり、バルコニーがあったり、縦長の窓だったりと、近代建築の香りプンプンである。ネットで調べるとすぐに分かった。何とこれは、1909年(明治42年)に建てられた麻布区役所(現在、統合され23区になった東京中心は、昔は35区あった)の庁舎だったのだ。昭和10年、麻布区役所が新庁舎に立て替えられるにあたり、不要になった旧い建物を大学が譲り受け、アメリカ人建築家ヴォーリズにより現在地に移築されたそうな。昭和10年に新築された麻布区役所は、その後、空襲により焼失してしまったそうで、旧庁舎は武蔵野の地に移築されたからこそ100年も残っている建造物ということになる。建物に歴史あり。

2010年6月1日火曜日

天照大神

ルーテル学院大学の日本文化史は、先週に引き続き古事記の一部を読み進めた。日本の神様の頂点に居られる天照大神は、以外にも弱っちぃ御方だったように感じられた。

イザナミを追いかけて、あの世に行って戻ってきたイザナギ。あの世の穢れを落とすため、全身を河で洗い清めるイザナギの左目から誕生したのが天照大神。鼻から産まれた弟のヤンチャさにほとほと手を焼いた兄・天照大神は、“もぉ~知らない!”と、岩戸を閉じて穴にこもってしまった。残された人々は、何とか天照大神に外に出てきてもらおうと、岩戸の前で鶏に鳴かせてみたりしたが失敗に終わった。次の手段は、誰が何を思ったのか、岩戸の前に樽を置き、その上で胸をはだけたアラレモナイ姿の女に躍らせ、皆でドンちゃん騒ぎをした。外の賑やかで楽しそうな音を聞いた天照大神は、“何事?”と、ソロソロと岩戸を開け、外の様子を覗き見ようとする。そこに、外から内に向かって鏡をかざすと、鏡に映った自分の姿を見たお馬鹿な天照大神は、“あれっ?お日様は僕だけのはずなのに・・・。誰?”と慌て、さらに岩戸を開けてしまった。そこを、外で待ち構えていた神々に、エイヤッと岩戸を全開され、外に引っ張り出されてしまった。と云う、何とも情けないような、面白い話であった。(あくまでも個人的解釈です)

2010年5月23日日曜日

スクーリング 「都市空間研究」

5月21日(金)~23日(日)、建築史と空間演出を合体させたようなスクーリングに参加した。近代建築の変遷をたどり、今後の街づくりや建築物の有り様について考えよう!というお勉強である。

現時点における建築史上の「近代」とは、幕末から第二次大戦終了までと定義されている。1860年~1945年の85年間である。1860年といえば、侍がチョンマゲを結い、ほぼ全員が和装で、誰もが木造住宅に住んでいた時代である。そして、私が生まれた1960年のちょうど100年前である。たかだか100年で、何故、それまでの生活様式を捨て、洋風生活に激変したのか。この時代は、近い過去なだけに、とても身近に感じる時代でありながら、でも今とはまったく違う時が流れており、興味深い時期である。

大変大雑把ではあるが、近代建築史の概要は以下のとおりである。
・開国後、西洋文化を一気に取り入れたが、木造建築しか知らない大工が西洋風の建物を造ったので、ミョウチクリンな建物が出来上がった。
・その後、西洋から技術者を招聘し、レンガや石を組み上げる、ちゃんとした洋館が出来上がった。
・しかし、関東大震災で、レンガや石で組み上げた建物は粉々に壊れ、旧来の木造建築は焼失してしまった。
・大震災の教訓を受け、壊れない、燃えない住宅を造ろうと、コンクリート造りが推奨された。
・立派な洋風建築や洋風住宅ができたが、大戦被災により、またもや多くの建築物を失った。
・大戦後、早く、安く、大量に建築を供給する必要があり、規格住宅が広まった。

スクーリング各日ともに、夕方からは現物見学に赴いた。初日は日本橋、2日目は上野公園、3日目は横浜山手である。いやはや、今まで何気な~く見ていた建物も、説明を受け、ちゃんと観察すると、ますます魅力的である。現代の味気ない建物に比べ、なんと凝った贅沢な造りであることか。ちょっとばかり知識が増えただけで、街散策が一層楽しいものになった。お天気が良い日は、カメラを首にぶら下げてお出掛けすることにしよう。

2010年5月18日火曜日

日本文化史

4月から7月までの毎週火曜日、近所にあるルーテル学院大学で日本文化史の講義を聴講している。

昨年、日本の歴史に目覚め、歴女の仲間入りをした。そんな折り、三鷹ネットワーク大学の講座案内の中に、ルーテル学院大学の同講座があった。ルーテル学院大学はルター派ルーテル教を基とし、神学部を中心に構成されているような大学らしい(よく知らないが・・・)。そんな学校の講座らしく、「神道を視点とした日本文化史」を聴講できるというので受講することにした。神・仏・宗教には、ほとんど関心がないため、最初の数回は面白さが分からず、言葉が理解できず、90分間座っているのが苦痛だった。それでも、めげずに通うほどに、だんだんと興味が増してきて、今ではアッという間に90分経ってしまうようになった。

今日のテーマは「古事記」。古事記の原文を見たのは始めてである。読めない。高校時代、漢文や古文は得意な方だったが、それとも違うようだ。先生曰く、「これは現代の中国人でも読めませんから・・・」と言うことである。漢字を一文字ずつ追い想像するしかない。先週の講義で登場した、日本最初の神様である天之御中主神が冒頭で登場し、その後次々といろいろな神様の名前が出てくる。読み進むうちに、伊邪那美と伊邪那岐が登場した。最初、伊邪那美(女)が「まぁ、なんて素敵な男性なんでしょう」と云い、次に伊邪那岐(男)が「おぉ、なんて素敵な女性なんだ」と云った。その後、二人の間に子供が出来たが、第一子・第二子ともに正常に産まれなかった。その理由は、女性から告白したからだと云う。もう一度やり直し、伊邪那岐から告白し、次に伊邪那美が告白したら、次はちゃんとした子供が産まれた。プロポーズは男性からするものだ・・・という慣習が出来上がった素となるようなお話である。ふぅ~ん。

2010年5月17日月曜日

大観音寺

仏像巡り第2弾は、人形町の大観音寺。毎月17日がご本尊ご開帳ということで、出掛けてみた。

こんなところにお寺さんが・・・・と云う場所にあった。あまりにコジンマリしていて、通り過ぎてしまいそうだった。以前、ネギマ鍋を食べた「よし梅」と路地を挟んだ隣にあり、路地には昔から使い続けられている井戸まであって、大通りに面しているとは云え、レトロな雰囲気が残った一角であった。

ご本尊の観音様は、大昔は鎌倉の大清水寺におられたそうだ。廃仏令により廃棄されたが、だいぶ年月が経ってから頭だけが井戸の中から発見されたらしい。それを人形町の住民が船で人形町の大観音寺に運び、寺の片隅に安置しておいたらしい。その後、もともとあった大観音寺のご本尊が東京大空襲で焼失してしまったため、頭だけの観音様がご本尊に昇格したそうな。なんという巡り合わせか・・・。頭だけのご本尊の前(厨子の前)には、お前立ちの観音様がおられる。知らないと、それをご本尊と間違えてしまいそうなほど美しいお顔をされている観音様である。で、お前立ちの観音様の後ろに、巨大なご本尊の顔が居る。前の観音様との対比のせいか、かなり大きな顔に見える。厨子に隠れて全体像は拝見できないが、立派な様子は分かる。珍しいことにこのご本尊は鉄製だそうな。大戦時に拠出していたら、さぞかしたくさんの武器ができたことだろう、なんてつまらないことを思ってしまった。

拝佛後、人形町在勤の友人と、人形町近辺在住の友人と3人で古民家風の和食処「十四郎(とうしろう)」で豆腐ハンバーグ定食を食べ、レトロな雰囲気の喫茶店でプリンアラモードを食べ、近為でお漬物を買って帰路についた。楽しい人形町散策であった。

2010年5月12日水曜日

中近東文化センター付属博物館

中近東文化センター付属博物館で開催されている『海を渡ったペルシア陶器 -17世紀中国・日本・イランの陶磁器貿易-』を拝観した。

中近東文化センターは、我が家から徒歩15分程度のところに在る。時間的・空間的に壮大で、内容が豊富な中近東の歴史的文化を専門に研究する場として、また、その成果を公開する施設として、三笠宮崇仁親王殿下のご発意のもと、故出光佐三氏の全幅の協力により、1979年10月に開館した。何故この場所に?という疑問はあるが、同センター所蔵の中近東関連コレクションと出光美術館所蔵の陶磁器コレクションが常設されており、なかなか楽しめる博物館である。なにより、一般入場料800円が、三鷹市民と武蔵野市民は100円という地元密着感が良い。

現在催されている企画展は、副題のとおりである。同時代に、同じ絵柄、同じ器形の陶磁器が、東インド会社の発注により、3つの国でそれぞれ作陶されたが、3つを並べてみると土、染料、筆致の違いが一目瞭然で面白い。肥前焼きの図柄を真似したヘレンドの絵皿が並設されていたが、西洋人が描く日本人図は、何ともヘンチクリンな感じである。

2010年5月1日土曜日

シャガ

シャ〜ガが咲いた〜、シャ〜ガが咲いた、小さなシャ〜ガ〜が〜。

シャガは、中国原産のアヤメ科の植物。種をつけないので、日本中のシャガは同じ遺伝子を持つらしい。茶花として用いられることがあり、白紫の小さな姿が何とも愛らしい。

昨年、ネットでシャガの苗を購入し、鉢植えしておいたのが、今年、見事に咲いた。確か3株購入したと思うが、どんどん根が横に伸び、鉢中のあちこちから青葉が生えてきた。飼い主に似たのか、他所で見かけるシャガに比べて背が低いように思えるが、まぁ、愛嬌ってものでしょう。栄養剤を与えるわけでもなく、水だけで1年生き延び、季節になれば自然と花をつけるって、改めてすごい生命力だなぁなんて感心してします。

2010年4月21日水曜日

Cembalo

夏日となった今日、久し振りにランチタイム・コンサートに行った。

今回のランチタイム・コンサートは、高田泰治によるオール・バッハ・プログラムのチェンバロ・リサイタル。1時間の予定が、ちょっとおまけが付いて1時間半の演奏となった。昼のゆったりした時間に、チェンバロの癒しの音色がなんとも心地よい時空間であった。高田泰治さんは、主に関西を中心に活躍されているらしい。「関西」と言う響きに似合わず、ハニカミ系の大人しそうな好青年であった。姿勢を正してチェンバロを弾く端正な横顔を拝見するに、何故に関西を基盤にしているの?などと、余計なことを思いながらの鑑賞であった。

2010年4月18日日曜日

松露庵

3ヶ月振りに茶道のお稽古をした。

師匠のお加減が芳しくなかったため、2月以降、お稽古が中止されていた。ようやく近場であれば外出できそうにまで回復されたので、武蔵野市の施設である松露庵をお借りして、お稽古をしていただくこととなった。

小間で薄茶点前を見ていただいたが、台目畳での点前に不慣れなため、平点前も一苦労である。8畳間では、濃茶付花月を見ていただいた。花月は、5名で花月札を引いて行う、ゲーム感覚満載の一席である。引いた札によっては、何度もお茶をいただける人あり、何度も点前に当る人あり、席の移動もなく茶も飲めず、ただただ座っているだけの人ありで、楽しくもあり苦しくもありの席である。今回、私は、幸いにも点前あり、喫茶あり、座変りありと忙しく過ごすことができ、とても勉強になった。

久し振りの正座はかなり辛かったが、茶友に会えて、近況報告なぞしながらワイワイ過ごせ、楽しい一日であった。

2010年4月11日日曜日

Come sta?

4日間のイタリア語講座が終了した。

後半2日間の講師は、ちょっと女性っぽいイタリア男子だった。ゴリマッチョ先生もおかま先生も、とても丁寧に上手に教えてくださった。先生が変わると、教え方や表現が変わって、より理解が深まるようだ。

さて、4日間でどうにかこうにか身に付いたと思われることは、挨拶と簡単な自己紹介だけである。長時間の勉強の割には、“えっ・・。これしかやってないの・・・”って感じだが、abc・・・の読み方すらも知らなかった私にとっては、なかなかの進歩なんじゃないかと思う。苦しみながらの4日間ではあったが、笑いのある明るい教室で、楽しみながら過ごすことができ、満足している。

そう云えば、夫の愛車Bianchi(イタリア製の自転車)について知ったことがある。Bianchiは、イタリア語の苗字らしい。イタリアの空の色を模した車体にデカデカとBianchiと書かれているが、これは、SuzukiやTOYOTAと同じなんだ・・・・。

Arrivederci!

2010年4月8日木曜日

イタリア語講座

語学が大嫌いな私。ただただ覚えなければいけない語学学習が大の苦手である。その私が、何をトチ狂ったのかイタリア語を勉強してみようと思ってしまった。ちょっとした気の迷いである。

今日から90分×3講義を4日間。先生はゴリマッチョのイタリア男子。イタリア人らしく、明るく陽気で女性に優しい。イタリア語初心者としては、安心できる存在でホッと一安心である。が、内容は易しくはない。まずはアルファベットの読み方から始まった。驚きである。イタリア語では、JとKとWとXとYは使われないらしい。スペルには書くけど発音しない文字がある言語が存在することは知っているが、そもそも文字として使われないなんてことがあるとは驚きである。その程度の知識もないことに呆れられると思うが、それほど馴染みがなかったのだから、しようがない。身に付くまでには宇宙ほども遠いが、知識が少し増えたと思って良しとしたいと、自らを慰めて1日目を終了。

さぁてと、acetoを買って帰ろっと・・・。

2010年4月4日日曜日

浮岳山深大寺

仏像鑑賞第一弾。

仏像の本を読むと、「東京 深大寺」が登場する。深大寺は、我が家から自転車で15分位の場所にあり、以前一度遊びに行ったが、そんな立派な仏像が納められているとは知らなかった。ってな訳で、桜の花見がてら、早速拝みに行くこととなった。

深大寺に安置されている銅造釈迦如来像は、白鳳時代の作で、都内最古の仏像である。深大寺が創建される以前に作られた仏像が、何ゆえこの寺に在るのかは謎らしい。7世紀後半に造られた如来様は、像高83.9cmで、静かに台座に腰を下ろしていらっしゃる。口端を窪ませ微笑みを浮かべた童顔と云い、背筋を伸ばした端正な姿勢と云い、若々しさ瑞々しさを感じさせ、拝見していて清清しい気分になる。如来様はガラス張りの釈迦堂に安置されており、いつでも無料で拝顔することができる。ホッとしたい時には、また会いに行くことにしよう。

仏像鑑賞記念に、朱印帳を購入し、記帳していただいた。話に聞いたことがある朱印帳だが、まさか自分が持つことになろうとは思ってもいなかった。これから寺社仏閣を訪ねるときには、必須アイテムになるであろう。

2010年4月2日金曜日

梁(ヤン)の家

オペラお勧めの韓国家庭料理屋に、クラモッチと3人で行った。場所は新宿百人町。JR大久保駅から徒歩2~3分の場所である。野菜中心で、どの料理もとても美味しく、お肌プルプルになると評判の干しタラのスープもいただき、明日が楽しみである。

新宿、東中野は馴染みがあるものの、その間にある大久保駅を利用したのは初めてであった。案内してもらった路地は、なんとも昭和な雰囲気で、懐かしいような怖いような、不思議な空間であった。昭和の雰囲気を醸し出している一つの要因に店名がある。その中の一つに「スナック あけみ」があった。“あけみ”と云う名前は、コントネタで飲み屋の女として登場する代表のようであるが、実際にその名前の飲み屋は見たことも無く、おそらく今時はそんな源氏名を使っている女性もいないんじゃないかと思っていた。・・・・が、あった。さすが大久保である。会員制の店らしいが、入口にいかにも怪しい看板が出ていた。この名も近々消え去るのではないかと思い、昭和の記念に撮影してみた。

2010年4月1日木曜日

新学期

今日から5回生。

あっという間に4月になってしまった。3月は、新年度のスケジュールを検討しつつ、講座の申し込みやテキストの取り寄せ等の準備で終わってしまった。早いもので、京都造形芸術大学で学び始めて5年目に突入した。一緒に入学した学友の中には、難関の卒業制作も無事に終え、4年で卒業された方々がいらっしゃる。私はなんとのんびりしていることかと、我ながら呆れてします。そうは云っても、一つの課題を勉強しだすと面白くなり、より深く知りたくなり、単位取得そっちのけで嵌ってしまっているのが実態であり、それはそれで良いんじゃないかと思っている。

携帯電話の基本料金も学割プランに変更し、今年度は、前年度にまして、学生モード全開である。造形大のほかに、地元のルーテル学院大学での日本文化史の聴講、裏千家茶道協会の講座を2つ、イタリア文化会館でのイタリア語講座と盛り沢山である。ちょっと欲張りすぎのような気もしなくもないが、「興味を持ったことは、取り敢えずやってみよう」精神でいこうと思う。

造形大では、去年から興味を持ってしまった歴史関連を引き続き勉強しようと思う。まずは、日本美術史からはじめようと、仏像の本を読みあさっている。時代毎の表現や技法の違いが分かると、これが面白い。少しばかり知識が増えると、実物を見たくなる。昨年度は美術館や展覧会に月2つのペースで行ったが、今年は仏像を月2つ見に行きたいと思っている。楽しみである。

2010年3月3日水曜日

上巳の節供

明かりを点けましょボンボリに~、
今~日は楽しい雛祭り~。

紙雛を折った。ボンボリも桃の花も無い・・・。ちょっと淋しいが、なかなか気品があって良い雰囲気である。

上巳の節供は、宮中から武家に伝わった儀式である。雛人形は、江戸時代中期に、商人が力を持ち始めた以降に今の形になったらしい。元々、雛人形は紙で折られ、自分の悪いところを撫でて紙雛に移し、川に流して厄払いをしたものらしい。紙雛は擬人化しないために、顔を書かないのが決まり事らしい。現代の雛飾りとはだいぶ様子が違うものだ。雛飾りに必要な物は、多くはないが、それぞれ意味があり大切らしい。

・桃の花 (霊木。邪気を祓う)
・菜の花 (季節の花)
・紙雛
・サザエ、ハマグリ (紙雛が海で禊をして帰ってきた証)
・菱餅 (ピンク・・桃、白・・雪、緑・・大地。三色・・陽、四角・・陰)
・甘酒、あられ 等

ところで、雛飾りによって男雛と女雛の左右並びが様々で、どんな違いがあるのか、かねがね疑問に思っていたが、「大和撫子講座」で解決した。男雛は貴人に見立てられ、南向きに立っている。昔は電気もなく、日中、貴人さんは日光を前面に受けて立ち、南に座している民衆に向かってお言葉を発していたところから来ているらしい。南向きに立つと、民衆から向かって右が東ということになる。東は日が昇る位置で、神聖な方角とされており、そこに人が立つことは有り得ないらしい。よって、女雛は西の位置(向かって左)に居ることになる。昭和天皇以降、西洋化が進んだ影響で、女性が男性の左手側に立つ風習ができたものらしい。伝統的な並びと現代的な並びの違いということだが、上巳の節供が古代からの慣わしということから考えると、向かって右が男雛、左に女雛ってのがしっくりするように思う。

2010年2月27日土曜日

ミニアチュール

月初に再提出したミニアチュール・テキスタイルが戻ってきた。

恐る恐る箱を開け、講評を見る。やった!80点、A評価。嬉しい。最初の作品があまりに酷かったためか、予想以上に良い講評をいただいた。100点には遠いけど、初回作品としてはまずまずなんじゃないかと思う。今年度ギリギリになってヒヤヒヤしたけど、兎にも角にも合格できて良かった。

2010年2月25日木曜日

小野リサ

小野リサのコンサートに行った。

私はBossa Novaが大好き。軽快なリズムと力の抜けた歌声が心地よく、聞いていると明るい気分になる。ボサ・ノヴァは、ジャズとサンバをベースとしてブラジルで生まれた音楽。1959年にリオで初めてコンサートが開かれたらしい。私とほぼ同い年である。

今回のコンサート開催場所は地元の公会堂だったが、美味しいお酒を飲みながら、踊りながら、口ずさみながら(ポルトガル語は分かりません)聞くのが合っていると思う。ってな訳で、早速、家でアストラッド・ジルベルトとスタン・ゲッツのCDを聞きながら一杯・・・・。

2010年2月22日月曜日

スクーリング 「フエルトメイキング」

今年度最後のスクーリングは、フエルトメイキング。

先生は米国人ジョリー先生、材料は羊毛、道具はシャンプーやプチプチやビニール袋等の家庭にある雑貨。慣れない作業で少々体力が必要だったが、織物や染物に比べて手軽に自由な立体物が出来るのは、とても魅力的だった。

ジョリー先生の不思議な、でも正しい日本語による講義は分かりやすく、且つ楽しく、ハッピーな気分になれる3日間であった。材料の羊毛は、羊から刈り取られた毛を脂や汚れを取り除き、ブラッシングされた物で、フワフワで気持ち良く、思わず顔を埋めたくなるような感触だった。

プチプチを型紙に使い、フワフワの羊毛を積み重ね、石鹸液を掛けアルカリ性にし、摩ったり揉んだりして圧縮すると、驚くほど堅く締まった布状になる。型を選ぶ(作る)ことにより、縫い目のない立体物が簡単に出来上がり、摩擦する過程で形を変形させることも出来る。繊維が絡まりあい丈夫な生地になるため、乱暴に扱っても破れることもなく、壊れることもなく、自在に形を創り上げることができるのは、とても楽しかった。

織物と違い、小物であれば1日に1つ造ることができるので、勉強の合間に作品を増やしてみようかと思っている。楽しい・・・・。

2010年2月10日水曜日

文楽鑑賞

今月の古典芸能は文楽 『花競四季寿』 と 『嬢景清八嶋日記』 を鑑賞した。

『花競四季寿』は、音楽的舞踊的要素の濃い作品。四季折々の情景を題材にして、春「万才」、夏「海女」、秋「関寺小町」、冬「鷺娘」で構成されている。太夫6名、三味線6名、他に鳴り物多数で奏でられ、賑やかであった。文楽には時々、狐や馬など動物が登場するが、人間が手で操るため、おちゃらけた感じになり勝ちである。今回は「海女」で蛸が登場したが、これがこれがフザケタ代物で、まるで幼稚園の学芸会かと見間違うようで、とっても楽しかった。暗い筋書きが多い文楽の中で、気の抜けるような笑いがあって気に入った。

『嬢景清八嶋日記』は、「花菱屋の段」と「日向嶋の段」が演じられた。「日向嶋の段」は、能の「景清」を基に、文楽用に書き下ろされたもの。14歳になった娘・糸滝は、2歳の時に別れ、今は盲目になったと聞く父・景清が一生不自由なく暮らせるよう座頭の官位を取らせるため、自ら身売りして金を作り、父探しの旅に出る。ようやく再開を果たすものの、父は娘を思い「景清は餓死した」と告げ、立ち去らせてしまう。父は娘を、娘は父を、それぞれ強く思うが故の結末は、何ともせつないものである。

2010年2月8日月曜日

再度ミニアチュールテキスタイル

2作目のミニアチュールテキスタイルが出来上がった。

昨年末提出したミニアチュールテキスタイル作品が、年明け早々に返却されてきた。やけに早い。嫌な予感が的中。評価は55点、D、再提出。あぁ~~~。「表現したいことが作品からはまったく伝わってこない」と手厳しい講評であった。めげていてもしょうがない。厳しい評価と暖かいアドバイスを参考に、同じタイトル、同じテーマ、同じ素材で早速2作品目を考え始めるが、どうもピンとこない。こんな時は、頭で考えるだけではなく、手を動かすにかぎる。「手は頭より賢い」と大好きな木内先生がよくおっしゃる言葉である。で、ようやく2月10日必着の今年度最終締切日に間に合うよう出来上がった。心の中は、これでどうだ!という微小な自信と、5点だけで良いです、どうぞ上げて下さい、という大きな嘆願が同居しております。苦しい・・・・・

2010年2月1日月曜日

自転車増殖

玄関を出たら、子供用の黄色い自転車が停まっていた。誰の・・・?

大きさからして子供用だとばかり思ったが、なんと私用だった。夫からの誕生日プレゼント第3弾らしい。私には既にブリジストンのTRANSIT compact(通称トラコン)という、近所をテレテレ走るには丁度良い、赤い可愛い折りたたみ自転車がある。遠出をするわけではないので充分だと思っている。が、しかし、遠くまでガンガン走りたい夫にとっては、トラコン妻はついて行けないため物足りなく思っていたらしい。ってなわけで、妻へのプレゼントと称しながらも、実のところは、自分(夫)と一緒に遠出をして欲しくて調達した、いわば自分(夫)へのプレゼントってことなんだろうな。早速試乗した黄色い自転車は、6段変速機付きで、タイヤもがっしりと太く、小さいながらも力強く頼りになる奴って感じで楽しめそうだ。

オーストラリアの限定モデルってことで衝動買いをしたようだが、車や人が多い街中で、上手に自転車を操れない私にとっては“豚に真珠”って気がしてならない。

2010年1月27日水曜日

ミスド 40周年

ミスタードーナツは、1970年1月27日に誕生したそうな。

今日、ミスドにオールドファッション黒蜜きなこを食べに行った。きな粉の優しい味が、オールドファッションのサクサク感とマッチして、とても美味しい。お気に入りの一品。ミスドは、今日1月27日に創業40周年を迎えたそうで、2月末まで使える『お好きなドーナツ1個+ブレンドコーヒー1杯 90円 スペシャルクーポン』をいただいた。嬉しい。40年前は、ドーナツ1個40円、コーヒー1杯50円だったそうな。

1970年と云えば大阪万博が開催された年。大阪万博には、家族4人で、父が運転する車で出掛けた。大阪のついでに、姫路の親戚の家に行き、伊勢に寄って帰ってきた。運転手を務めた父はさぞかし大変だったと思うが、とても楽しそうにしていたことを覚えている。母に言わせると、家族4人で遠くに旅行したのは大阪万博が最後だったらしい。私にとっては、思い出深い1970年です。

2010年1月26日火曜日

大和撫子講座

一筆申し上げます。

今週の大和撫子講座のテーマは「手紙のマナー」。丁寧な手紙の基本形式は①頭語、②前文、③主文、④末文、⑤結語、⑥後付けであること、頭語と結語の関係、その他知っておくと良いことを教えていただいた。

◆正式には筆か万年筆で書く。ボールペンは不可。
◆用紙は白無地が正式である。線が入ったもの、色付きは略式。
◆短い文章でも、必ず2枚にして送る。1枚は不祝儀となる。
◆礼状は3日以内に送る。
◆葉書、メールは略式である。
◆葉書は、8行~10行にまとめると美しい。
◆住所は都道府県から書く。
◆追伸は、目上の方には使わない。
◆家族写真ハガキは、目上の方には使わない。

かしこ

余った時間に、紐による“菊花結び”と“梅花結び”を教えていただいた。菊花結びを黒いバックに付けてみた。古びたバックがちょっとだけ雅な感じに変身した。梅花結びは玄関先の鉢植えに下げてみた。季節外れの鉢植えも、ちょっとだけ春の景色に変身した。楽しい・・・・。

2010年1月25日月曜日

弥右衛門の会

オペラとクラモッティをお招きして、弥右衛門を呑む会を催した。

弥右衛門は、会津・大和川酒造の日本酒。昨年秋、純米、本醸造、生酒等々、数種類を取り寄せた。あまりに美味しいため、大して酒呑みでない我が家でも毎晩晩酌をせずにはいられなくなり、あっという間に残り少なくなってしまった。在庫があるうちに、日本酒好きのオペラをお招きして、是非おしゃべりをしたいと思い、近所に住むクラモッティと共にお越しいただいた。

今年最初の客人でもあり、どんな風におもてなしをしようかと頭を悩ませたが、結局、いつもと同じ、大したことも出来ず、楽しいお喋りに夢中になってしまった。酒の肴は、

◆付出(たらこの昆布巻、出汁巻卵、スモークサーモン、明太いわし、生しらす)
◆小鉢2品(釜揚げしらす、こんにゃくの鰹節まぶし)
◆温野菜(菜の花、ブロッコリー、スナップインゲン、人参、蕪、さつま芋、オクラ)
◆焼き魚(銀鮭の麹漬け)
◆ご飯(ひつまぶし、漬物3種)
◆菓子(菜種饅頭、抹茶)
◆デザート(メロン、コーヒー)

その他に、美味しいさつま揚げと美味しいシュウマイを用意していたが、お腹一杯になってしまったようで、冷蔵庫から取り出すことなく終わってしまった。季節の野菜と静岡から取り寄せた魚をメインに、まぁまぁ上手にまとまったように思えるが、終わってみれば、あ~すれば良かった、こ~すれば良かったと後悔ばかりである。気張らずに、サラッとおもてなしできるようになりたいものである。

2010年1月20日水曜日

誕生日

大寒にもかかわらず、珍しく暖かで穏やかな日和となった。

とうとう50歳になってしまった。歳を重ねるにつれ、誕生日を喜ばない方々がいらっしゃる。私は、歳を経るにしたがい、1年という月日が愛おしく感じられ、1年を無事に楽しく過ごせたことにますます感謝し、有難く感じるようになった。そして、今日からの1年が更に喜びに満ちた日となるよう、期待に胸を膨らませている。50歳ともなると、さすがに身体の衰えを感じないわけにはいかない。身体は成長を通り越して衰えていく一方、中身は成長が止まってしまっているというギャップに悩みながら、少しでも身体の衰えを減速し、中身の成長を加速させ、人生をまっとうしたときに帳尻が合うようにしたいものだと思っている。月並みであるが、何はともあれ、健康が第一。心身が健康であるよう、今日もニコニコ笑って過ごそう!

お誕生日を祝い、私の大好きな藤色ウサギを用意してくれた旦那様、早速にお祝いメールをくださった桃ちゃん、どうも有難うございます。お蔭様で、今日の私はニッコニコです。

2010年1月18日月曜日

大和撫子講座

久し振りに大和撫子講座が開かれた。

今日のテーマは、『おもてなし』。お客様をお迎えする場合の心構え、お訪ねする場合のマナーを中心にお話いただいた。いずれも常識的な事柄ではあるが、改めてお聞きすると、そぉそぉってな感じです。

◆玄関を清める。
◆スリッパ、タオル等は清潔な物に替える。
◆花は、季節先走りの物を飾る。
◆お迎えする数時間前は、魚は焼かない。
◆エプロンは外す。
◆お茶だけでおもてなしする場合は、温度や濃度に注意する。
◆部屋の温度調整に気を配る。
◆お茶や料理を出す時は、相手から遠い手でお出しする。
◆お食事は、一品は手料理を準備する。

その他にも多くの注意事項を教えていただいた。今週末、友人を自宅に招く予定にしているため、とても参考になった。どこまでできるかは分かりませんが・・・。

2010年1月17日日曜日

武蔵野会

武蔵野会の新年会に初参加した。

武蔵野会は、三鷹・吉祥寺近辺に住んでいる、東京銀行(現・三菱東京UFJ銀行)出身者の集まりらしい。会発足から10数年経過しており、これまでは兄様達だけの集会だったそうだが、今回、ひょんなことから、初の女性メンバーと云うことでお誘いしていただいた。光栄なことである。兄様方は、四半世紀前、既に役職者や長と肩書きが付くような面々で、若造だった私が気安く話せる方々ではなかったため、かなり緊張しての参加であった。が、そんな心配をよそに、仕事を離れた兄様方は、何とも気楽な、元気一杯の、人生を謳歌している兄様方であった。絵画を習い始め、今年は100号の油絵を描くと意気込んでいる兄様、古典芸能から長唄にはまり、今年は発表会で3曲披露する兄様、自然観察員の資格を取り、週末はボランティアで野鳥や野草の説明をされている兄様、水泳に夢中になり、週10Km泳ぐことをノルマとしている兄様、年間100本の映画を映画館で鑑賞し、都度短評を書いている兄様等々、皆様とても意欲的に新しい事に取り組んでいらっしゃるご様子で、私も良い刺激をたくさんいただきました。何かを新しく始めるには、いつくになっても遅いってことはないんだと、改めて思い知らされました。次回お会いしたときに、「私はこれをしました!」と報告できるよう、気合を入れなければ・・・。

2010年1月15日金曜日

週間ダイアリー

スケジュールシートを、これまでの見開き月間ダイアリーから、時間単位で管理できる見開き週間ダイアリーに変えることにした。

会社勤めをしている時、社内では当然のことながら分単位でスケジュール管理されていた。プライベートな時間は平日夜と週末しかなく、一つ二つの予定が記入できれば良かったため、30年間ずっと月間スケジュールシートを利用していた。昨年3月に退職してからも、これまでの習慣で月間シートを使用していて、なんら不自由も疑問も感じていなかった。

昨年末、夫が参加した講習会の参考図書「7つの習慣」(スティーブン・R・コヴィー著、キング・ベアー出版)を譲り受け、年初から読み始めた。「7つの習慣」は、生活の質を向上させるための提案がなされており、新鮮な提言あり、忘れていたことを思い起こさせてくれる提言あり、考えさせられる事ありで、なかなか興味深く読み進むことができる。その中で、時間単位でスケジュール管理することの重要性が記されている。専業主婦&学生という生活を始め、それなりに充実した毎日を過ごしているが、この生活に慣れてくること、ややもすると課題を先送りしてボーっと過ごしてしまうことも無きにしも非ずであることを感じ始めていた時だったので、さっそく時間単位で管理できる週間ダイアリーに変更することにした。時間と気持ちに余裕を保ちながらも、無駄の少ない、より充実した毎日を過ごすよう、ちょっと気持ちを引き締めようと思う。

2010年1月14日木曜日

エステ

ラ・パルレというエステサロンに行った。

株主優待で、2万円コースが無料で受けられるというので、出掛けてみた。カウンセリングの結果、下半身を集中ケアすることになり、セルライト集中コース12,000円に4,000円オプションを2つ加えた施術をお願いした。ほとんどが専用マシンを使用したもので、硬くなった脂肪を柔らかく揉みほぐしてから、筋肉運動をさせてサイズダウンを図ろうというものだった。今までのエステ経験と云えば、全てハンドケアで、アットホームな雰囲気のパレ・ド・マサノ(母マサノさん、娘ユウコさんのお二人で運営)しかなく、それに比べると大手(?)チェーン店は大分違うものであった。結果としては、技術・効果・料金・雰囲気・スタッフ対応、全てパレ・ド・マサノの勝ちであった。パレ・ド・マサノしか知らなかった私は、それが普通だと思っていたが、違うのかも知れない。パレ・ド・マサノは、格段に優れたサロンなんじゃないかと感じた。昨年秋、地元から3駅先に移転してしまったが、機会をつくって是非会いに行きたいものである。

2010年1月12日火曜日

初釜

例年同様、成人の日に、東京ドームホテル内・熊魚庵たん熊北店の茶室で初釜が執り行われた。

今回の参加者は26名。時間の制約があったため、濃茶席・薄茶席ともに1席に全員が揃うこととなった。茶室にキュウキュウ詰めにグルッと一周座り、ようやく水屋担当を除いた23名が座ることができた。師匠の手前を拝見できるのは初釜の濃茶席だけなので、弟子達は皆真剣である。私は、幸か不幸か詰役を担うことができ、拝見角度は違うものの、真近(真後ろ)で所作を勉強することができた。師匠の手前はサラッとしていて、指先から身体全体が美しい。見せ付けられるようなわざとらしさがなく、いつの間にか終わっているような、流れるような手前である。

『茶室は舞台であり、客席でもある。全員が演者であり、観客でもある。』とよく言われる。せめて、茶室に居る時くらいは、美しくありたいと思う。本当は、日常生活全般がそうであると望ましいのですがね。

2010年1月7日木曜日

古典芸能鑑賞

初春の古典芸能は、能と狂言を鑑賞した。
演目は、邯鄲(能)と餅酒(狂言)。場所は、国立能楽堂。

国立能楽堂は、玄関に門松、ロビーに飾り餅、舞台全体にしめ縄が飾られ、お正月ムード満載であった。

餅酒は、加賀のお百姓と越前のお百姓が年貢を納める際、和歌を詠み、三段ノ舞を舞う脇狂言。邯鄲は、行く末を夢見ることができる枕を借りて寝た旅人が、夢の中で栄華の極みを体験するというお話。どちらも初春に相応しい演目で、雅な雰囲気を堪能できた。正直、能は理解できない。他の古典芸能を十分理解できているわけではないが、能はことさら難しいように思える。染織を勉強中の身として、豪華な能衣装を拝見し、茶道を勉強中の身として、能の足運びを目に刻めただけでも良しとしたい。

それにしても、野村万斎さんの横顔は美しかった・・・・。