2011年11月30日水曜日

ぜんざい

日が暮れるのが早くなった。
日が暮れると、途端に冷えてくる。
冷えてくると、温かいものを口にしたくなる。
小腹が空いた夕方、急遽、ぜんざい作りを始める。
餅入りぜんざいで、お腹も身体もポッカポカ。

満足したところで、夕飯作りに取り掛かる。
通常通り、夕飯を食する。
良いんだろうか・・・・。
身体はどんどんブックブク。

2011年11月19日土曜日

ホワイトハウス

『真っ白な 陶~磁器を~ 眺めては 飽きもせず~~』
頭の中で小椋佳の歌声が響いていた一日であった。

都心で優雅に暮らす友人の家で、四半世紀の付き合いになる旧友達と同窓会が執り行われた。去年、新築マンションに引っ越した友人。どんな部屋なのか、ワクワクしながらの訪問である。

玄関ドアを開けられ、まず、躊躇してしまった。“どこまで靴で入って良いの?”バリアフリーの床は、ドアから一面、真っ白である。外人仕様の造りだ・・・・。部屋の中は、床、壁、天井、家電、家具、すべてが真っ白である。そして、白いテーブルの上に並べられたヨーロッパ各地の有名磁器も、白で統一されているではないか。ものすごい徹底ぶりである。美しい・・・。

近所のフレンチレストランのシェフにお願いした料理が次々と運びこまれ、とっておきのシャンパンやワインをたらふくいただき、「もぅお腹一杯」と云いつつも、別腹が次々と登場し、ケーキ、和菓子、ジェラート、メロンとたいらげてしまったのである。喋り続け、飲み続け、食べ続けた6時間であった。

帰り際、友人から全員に手渡されたのが『あざぶ最中』であった。皮と餡が別に包装されており、食べるときに合体させて食するものである。商品の中の説明書きには「皮に餡を乗せたら、数秒たりとも放置してはならぬ」と記されている。早速、素早い動作をイメージしながら、準備を整えていただくことにした。これはこれは絶品である!サクサクの皮のなんと軽やかで芳ばしいことか。粒がしっかりと残ったねっとりした小豆餡との相性も抜群である。和菓子好きではあるものの、これまで最中の評価は低かった。しかし、『あざぶ最中』は別格である。これは住所を頼りに是非とも買いに出掛けねばならぬ。それにしても、『あざぶ最中』の一幸庵は、小石川所在なのに、何ゆえ『あざぶ』なのであろうか。

2011年11月16日水曜日

東京オアシス

まったり系の映画。
難解。まったく解らんかった。

今までの同シリーズとの違いは、美味しそうな料理が出てこなかったこと。
唯一登場したのが“きつねうどん”。
なぜ、きつねうどん?

2011年11月12日土曜日

St.Cousair

美味しいランチを求めて、北信州・飯綱高原までひとっ走り。

St.Cousairはワイナリーである。山を開拓したぶどう畑の中に、ワイン工場、ジャム工場の他に、レストラン、Shop、Cafe、そして教会までをも併設している。
先日、知り合いから頂いた“All Fruit Jam(砂糖不使用ジャム)”がたいそう美味しかったので、取り寄せようとHome Pageを検索したら、レストランがあるではないか。こりゃ、買い物がてらお食事に行かねば・・・・、と出掛けることに相成ったのである。

青い空の下、色付く山々を眺めながら、ソーセージをツマミにワインを飲む。
あ~、至福の時である。

たらふく飲んで食って、店員さんに「たくさん買っていただいて、有難うございますぅ。」と感謝されるほど買い物をして、極楽気分で帰路についたのであった。

2011年11月10日木曜日

映画研究

東京キャンパスで開講されたスクーリング、『映画研究』に参加した。

映画がメチャメチャ好きってな訳ではないが、時々は観る。メチャメチャ好きってな訳ではないため、観る映画には偏りがある。メチャメチャ好きってな訳ではないため、映画の面白さを判ってないのではないかと思う。映画についての知識が増えれば、もっと楽しめるのではないかと思った。

講義は、映画の誕生時、紙に描いた馬の絵を手動で回転させて動画風に見せる時代から始まった。映画技術は、サイレントからトーキーへ、モノクロからカラーへ、固定カメラからモーション・コントロール・カメラへ、合成からコンピュータ・グラフィックスへと、1895年にリュミエール兄弟が映画装置を発明して以来、一世紀ちょっとで飛躍的に進歩した。映画館という特定の場所で観るものだった映画は、今や、インターネットを通して、いつでも、どこでも、何でも観ることが可能になった。多くの手間と高度な技術と多額の費用がかかっていたため特定の人しか作ることができなかった映像は、今や、安価な録画装置と既成の画像編集ソフトと無料投稿サイトにより、誰でもが世界に向けて自作の映像を配信できるようになった。技術の進歩って、すごいな~。

3日間で観た映画の数は約60本。2分弱の短編から1時間超の長編まで、くっだらないがメチャメチャ笑えるサイレント・コメディから、観ているのが辛くなる重~いドキュメンタリーまで。あ~、面白かった。

講義の最初に、講師が「映画は、視覚芸術である」とおっしゃったのが印象的であった。GBMや効果音は内容を盛り上げるためには有効な手段であり、会話は内容を判りやすくするためには必要である。だが、サイレント映画や余計な説明を省いたアニメーションを観て感じたことは、飾り物を削ぎ落とした映像は、鑑賞者に想像する余地を残し、それぞれに考えさせることにより、より豊かな表現になっているのじゃないかな・・・ということだった。

2011年11月7日月曜日

ゴボウ茶

ゴボウ茶を作った。
淹れたお茶は、味も薫りもゴボウチップスである。

テレビを見ていたら、アンチエイジング専門医と名乗る、うさん臭い雰囲気の、若作りしたオジサンが登場した。そのオジサンが自信あり気に宣ったのである。
「僕は、ゴボウ茶を飲んで、痩せて若返った」と。

先日、ナイシトール宣告をされてしまった私である。マユツバ物の話ではあるが、ゴボウは嫌いじゃないので、試してみることにした。作り方は簡単である。

1.ゴボウをピーラーでササガキする。
2.天日干し または 電子レンジで7~8分加熱する。
3.フライパンで乾煎りする。
4.熱湯で煮出す。

美味しくいただいたが、ホワイトチョコ・ラスクと一緒に飲食してたら、絶対に効かないと思う。

2011年11月5日土曜日

常磐津

常磐津なるものを聴きに参った。

三味線の音色が好きで、以前から文楽を観に行ったり、長唄を習ったりしていた。好きではあるものの、実のところ、義太夫節だとか常磐津とか、小唄・端唄・長唄の違いは知りもせなんだ。

永年のモヤモヤは、『日本芸能史』を学ぶことにより、すっきりと解消したのであった。

三味線音楽には、「西のもの」と「東のもの」がある。また、東西それぞれに「語り物」と「歌い物」がある。義太夫は西の語り物、常磐津や清元は東の語り物である。地唄・端唄は西の歌い物、長唄は東の歌い物であるそうな。西の語りは関西風のイントネーションでコッテリ派であり、東の語りは江戸風の粋なサッパリ派という違いがあるそうだ。文楽の義太夫のねちっこさは、そんなところから感じられるようである。

さて、初めて常盤津の演奏会に出向いたのである。日本芸能史の講師から「もし、いらっしゃるようでしたら、チケットを差し上げますよ」というお誘いをいただき、ゲットしたものである。パンフレットを見てみると、講師先生が司会役ではないか。な~るほど。席に着き開演を待っていると、粋な料亭の女将風な女性がニコやかに近づいてくるではないか。「おやおや先生、美しく化けるものですな~。」

本日の演目は『朝顔日記』の宿屋の段と大井川の段。舞台となる島田と大井川は、我が実家の近くであり、楽しみが倍増した感じである。

■宿屋の段
美雪(後の朝顔)という女性が、離れ離れになった阿曽次郎を思うあまり、眼を泣きつぶして失明してしまう。失明した朝顔は、後に再開した阿曽次郎に気付くことなく、また、阿曽次郎は周囲の手前名乗ることもできず、すれ違いとなってしまう。

■大井川の段
前途を悲観した朝顔は、大井川に入水しようとしたが徳右衛門に助けられる。徳右衛門は、朝顔が恩人の娘であることを知り、自らの腹を切り、その血に薬を混ぜて朝顔に飲ませる。すると、たちまち朝顔の両眼が治り、徳右衛門は絶命する。朝顔は、下僕をつれて阿曽次郎を追う。

朝顔日記は、70年以上振りに上演された演目であるそうだ。行き別れだの、命をもって誰かを助けるなんぞは、17世紀としてはありがちな話である。現代では考えられない・・・・・。

2011年11月3日木曜日

高尾散策

↑愛用の猫ヘルメット。

4~5年振りに単車の後部座席に座った。単車持ち主が腰を痛めて以来、永らく駐車場に放置されていた単車であるが、今年に入り、ボチボチ出動することができるようになった。暑くもなく寒くもないこの時期、単車でのお出掛けは気持ちが良い。八王子辺りまでは緑一色の街路樹であったが、高尾に近くのイチョウ並木は黄色7:緑3と色付き、秋の風情満載である。

さて、久し振りのヘルメット装着である。スポッと被ってみれば、内側のクッションに両頬が前方に押され、前から見ると豚顔である。後ろ姿は愛嬌のある猫なのに、前は豚。こりゃ、いかんだろう。

そして、筋肉がなくなり、脂肪だけになった尻。ヤワな尻の上に、あきらかに重量を増した上半身が乗っかるのである。高尾に着く頃には、尻の骨が痛いではないか。あ~、絶対にいかんだろう。

体重はさほど変わらないのに、体型はどんどん変化していく。単車持ち主からは、「ナイシトール飲んでください。」と命じられてしまった。

2011年11月2日水曜日

ステキな金縛り

コメディ映画が好き。
映画は娯楽だと思っているから、笑える映画が好き。

三谷映画は、バカバカしいと思いながらも、観たい衝動にかられる。今回の作品も、本当にふざけている。突拍子もない筋書きと、すべての登場人物が変人であれば、面白くない訳が無い。「ショーモナイ喜劇」と云ってしまえばそれまでであるが、まぁ、娯楽だから・・・・。豪華キャストが、チョコチョコと登場するのであるが、皆さん、バカバカしい役どころを見事に演じているところはサスガである。きっと楽しい撮影だったに違いない。

2011年11月1日火曜日

栗の渋皮煮

毎年、秋になると、長野から巨大な栗が大量に送られてくる。

美味しいものに虫はつきもので、虫に食べられないうちに人間様が頂戴するためには、時間との戦いである。そうは分かっていても、栗の皮剥きは一苦労で、なかなか気が進まないのが常である。

毎年、旦那が一苦労を買って出てくれていたのだが、何を血迷ったか、今年は『私がやる!』宣言をしてしまったのだ。栗料理といえば、バカの一つ覚えの栗ご飯しかしらない私である。大量の栗を全部栗ご飯にしたら何週間食べ続けなければいけないのか。好きではあるが、ちょっと・・・・ね。

大粒の立派な姿の栗達である。その姿を残しつつ、大量に消費できるのは何かと云えば、栗の甘露煮である。これだったら、お茶と一緒にバクバク食べられてしまう。さらに、渋皮煮であれば、渋皮を綺麗に剥く手間が省ける。

そうだ!渋皮煮にしよう!

(1)生の栗を15分程熱湯につけ、鬼皮を柔らかくしてから、栗々坊主で鬼皮を剥く。
(2)重曹を入れた湯で、20分程渋皮状態の栗を煮る。
(3)煮た渋皮栗を水にとり、栗の表面を綺麗にする。
(4)砂糖を溶かした湯を煮詰め、渋皮栗を入れて20分程煮る。

やってみればオチャノコサイサイである。渋皮栗を重曹を入れた湯で煮ると、表面がツルツルになるのには驚きであった。初体験ではあるものの、上々の出来栄えで、茶友にも瓶詰めを献上してしまった。

栗を煮ている最中、茶色くなった煮汁を見て、『この煮汁で絹糸を染めたら良い色になるんだろうな・・・・』なんて思ったりしている時、ハタと思い出したのであった。

そうだ!栗の鬼皮は染料になるのだった!

ってな訳で、中身は渋皮煮となり、鬼皮は染料にするため保管庫へと納まったのであった。