2012年1月22日日曜日

鶴岡八幡宮茶会

鎌倉在住の茶友に誘われ、鶴岡八幡宮の茶会に出向いた。

普段プラッと訪ねる参詣とは違い、いくつかの建物を渡り歩いた。初めて足を踏み入れる建物の中から見る庭の景色は、それまで見た広々とした境内とは違い、それぞれに風情があるものである。建物の中に入ってこそ目にすることができる中庭は、手入れが行き届き、この季節ならではの景色であった。

大寄せの茶会ではあるが、あらかじめ20名ずつグループ分けした上で受付時間をずらしていたため、濃茶席、薄茶席、点心席と、整斉と進むことができた。眼福、口福、耳福をいただいた一時であった。

2012年1月21日土曜日

大寒の朝である。
「さっむいな~」と思いながら、リビングから外を眺めておった。
すると、東の方角から、なにやら飛んで来よった。
「カラス?」と思ったが、色が白い。そして、大きい。
その鳥は、向かいの家の屋根に、「ツーっと来て、ルーと停まった」のであった。
そう、鶴である。
唖然とし、大声で同居人に「鶴が来た~!」と叫び伝えている最中、鶴は南西方角に飛び去ってしまった。

2012年1月16日月曜日

いちご御飯

八戸名産いちご煮の海鮮スープで、炊き込み御飯を作った。

いちご煮は、ウニとアワビを潮汁で仕立てた磯料理である。いちご煮という名前の由来は、器に入れたときの汁が真珠の淡い輝きに似ており、オレンジ色のウニの卵が、朝もやにかすむ野いちごに見えるところからきている。

そのまま潮汁でいただくのは贅沢すぎるように思えて、炊き込み御飯にしてみた。御飯を炊いている最中からウニの香りが広がり、食せばアワビの食感が堪能できる、磯の香りたっぷりの美味しい御飯であった。

2012年1月11日水曜日

鏡開き

からみ餅と思い大根おろしを用意したものの、鏡開きと云えば、やっぱり善哉でしょう。

昔々、会社勤めを始めた頃、鏡開きの日には自動車室のおじさん達がお汁粉を振る舞ってくれた。年始、自動車室には、その年の交通安全を祈願して鏡餅が飾られていたんだと思うが、多くの女子に声を掛けるため、当然、鏡餅だけでは足りるはずもなく、おじさん達がお小遣いを出し合ってくれていたんだと思う。毎年、「お汁粉が出来たから食べにおいで~。」という内線電話が嬉しかったものである。

そんなアットホームな習慣もバブルと同時期になくなってしまった。おじさん達は元気にしているだろうか。

2012年1月9日月曜日

初釜

今年も、東京ドームホテル内にある、たん熊の茶室を借りて執り行われた。

昨年秋、「次の初釜は亭主をやりなさい」と仰せつかっていた。仲間内の席とはいえ、初釜の亭主役は緊張である。当日まで、どんな道具組みなのか、どんな段取りなのか、ほどんど知らされておらず、ぶっつけ本番である。自分の道具であればどんな粗相をしても“しゃぁないな”と諦められるが、先生のトッテオキの道具をお借りするとなると、ビビッてしまうものである。普段の稽古でも緊張する性質であるが、大勢の前での点前ともなれば、精神状態は尋常ではない。

年末頃、浅田真央のスケートをテレビで見た。ご母堂を亡くされてから日も浅く、まだまだ心が揺れている時期であったと思う。スケーティングが終わった後、「大勢の前で、緊張しませんでしたか?」との質問に、真央ちゃんは、「多くの皆さんが見守って下さっていると思うと、心強かったです。」と答えたのであった。

そうなんだ。“見られている”のではなくて、“見守ってもらっている”んだ。そう思うと、確かに心強く感じられる。真央ちゃんの言葉のお陰で、平常心で臨むことができました。

2012年1月7日土曜日

七草粥

お粥嫌いである。
どうしてもお粥は好きになれないが、縁起物だと思い、七草粥だけは我慢して食するようにしている。

どうして、折角の美味しいご飯を、原形を残さないくらいグチャグチャにしてしまうのか理解できない。一粒一粒の姿を尊重しないのは、米にたいして失礼ではないかと思う。朝粥好きの人も多くいるが、どんなところに魅力を感じているのだろうか。

グチャグチャご飯が嫌いという理由で、おはぎも好みではない。中途半端に潰された米が不憫でならない。アンコときな粉が大好物であるため、少しは食べることができるが、茶碗に盛ったご飯にアンコやきな粉を載せて食べる気にはなれない。米は、原形の有る無しで、別の食べ物になるのだろうか。

2012年1月6日金曜日

賀詞交歓会

銀行倶楽部にて、正友会の新年賀詞交歓会が催された。

初参加である。会場に入って見渡すと、そこは爺様達で溢れていた。大きなホールの隅から隅までズズズイッと白髪だらけの光景である。初めて目にする景色であった。そんな驚きの中、入行当時お世話になった上司や、20数年振りにお会いした知り合いを次々と見つけ、挨拶をすることができた。当時、恐そうに見えたオジサマ達は、今やニコヤカな爺様になり、随分と小さくなられてしまった。見かけは小さな爺様であるが、皆さん、大いに人生を楽しんでいらっしゃるようである。一年に一度くらいは、爺様詣でをするのも悪くないかもしれない。なんて云ってる私自身も、婆様への道を歩み始める年齢である。