常磐津なるものを聴きに参った。
三味線の音色が好きで、以前から文楽を観に行ったり、長唄を習ったりしていた。好きではあるものの、実のところ、義太夫節だとか常磐津とか、小唄・端唄・長唄の違いは知りもせなんだ。
永年のモヤモヤは、『日本芸能史』を学ぶことにより、すっきりと解消したのであった。
三味線音楽には、「西のもの」と「東のもの」がある。また、東西それぞれに「語り物」と「歌い物」がある。義太夫は西の語り物、常磐津や清元は東の語り物である。地唄・端唄は西の歌い物、長唄は東の歌い物であるそうな。西の語りは関西風のイントネーションでコッテリ派であり、東の語りは江戸風の粋なサッパリ派という違いがあるそうだ。文楽の義太夫のねちっこさは、そんなところから感じられるようである。
さて、初めて常盤津の演奏会に出向いたのである。日本芸能史の講師から「もし、いらっしゃるようでしたら、チケットを差し上げますよ」というお誘いをいただき、ゲットしたものである。パンフレットを見てみると、講師先生が司会役ではないか。な~るほど。席に着き開演を待っていると、粋な料亭の女将風な女性がニコやかに近づいてくるではないか。「おやおや先生、美しく化けるものですな~。」
本日の演目は『朝顔日記』の宿屋の段と大井川の段。舞台となる島田と大井川は、我が実家の近くであり、楽しみが倍増した感じである。
■宿屋の段
美雪(後の朝顔)という女性が、離れ離れになった阿曽次郎を思うあまり、眼を泣きつぶして失明してしまう。失明した朝顔は、後に再開した阿曽次郎に気付くことなく、また、阿曽次郎は周囲の手前名乗ることもできず、すれ違いとなってしまう。
■大井川の段
前途を悲観した朝顔は、大井川に入水しようとしたが徳右衛門に助けられる。徳右衛門は、朝顔が恩人の娘であることを知り、自らの腹を切り、その血に薬を混ぜて朝顔に飲ませる。すると、たちまち朝顔の両眼が治り、徳右衛門は絶命する。朝顔は、下僕をつれて阿曽次郎を追う。
朝顔日記は、70年以上振りに上演された演目であるそうだ。行き別れだの、命をもって誰かを助けるなんぞは、17世紀としてはありがちな話である。現代では考えられない・・・・・。
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