2010年5月23日日曜日

スクーリング 「都市空間研究」

5月21日(金)~23日(日)、建築史と空間演出を合体させたようなスクーリングに参加した。近代建築の変遷をたどり、今後の街づくりや建築物の有り様について考えよう!というお勉強である。

現時点における建築史上の「近代」とは、幕末から第二次大戦終了までと定義されている。1860年~1945年の85年間である。1860年といえば、侍がチョンマゲを結い、ほぼ全員が和装で、誰もが木造住宅に住んでいた時代である。そして、私が生まれた1960年のちょうど100年前である。たかだか100年で、何故、それまでの生活様式を捨て、洋風生活に激変したのか。この時代は、近い過去なだけに、とても身近に感じる時代でありながら、でも今とはまったく違う時が流れており、興味深い時期である。

大変大雑把ではあるが、近代建築史の概要は以下のとおりである。
・開国後、西洋文化を一気に取り入れたが、木造建築しか知らない大工が西洋風の建物を造ったので、ミョウチクリンな建物が出来上がった。
・その後、西洋から技術者を招聘し、レンガや石を組み上げる、ちゃんとした洋館が出来上がった。
・しかし、関東大震災で、レンガや石で組み上げた建物は粉々に壊れ、旧来の木造建築は焼失してしまった。
・大震災の教訓を受け、壊れない、燃えない住宅を造ろうと、コンクリート造りが推奨された。
・立派な洋風建築や洋風住宅ができたが、大戦被災により、またもや多くの建築物を失った。
・大戦後、早く、安く、大量に建築を供給する必要があり、規格住宅が広まった。

スクーリング各日ともに、夕方からは現物見学に赴いた。初日は日本橋、2日目は上野公園、3日目は横浜山手である。いやはや、今まで何気な~く見ていた建物も、説明を受け、ちゃんと観察すると、ますます魅力的である。現代の味気ない建物に比べ、なんと凝った贅沢な造りであることか。ちょっとばかり知識が増えただけで、街散策が一層楽しいものになった。お天気が良い日は、カメラを首にぶら下げてお出掛けすることにしよう。

2010年5月18日火曜日

日本文化史

4月から7月までの毎週火曜日、近所にあるルーテル学院大学で日本文化史の講義を聴講している。

昨年、日本の歴史に目覚め、歴女の仲間入りをした。そんな折り、三鷹ネットワーク大学の講座案内の中に、ルーテル学院大学の同講座があった。ルーテル学院大学はルター派ルーテル教を基とし、神学部を中心に構成されているような大学らしい(よく知らないが・・・)。そんな学校の講座らしく、「神道を視点とした日本文化史」を聴講できるというので受講することにした。神・仏・宗教には、ほとんど関心がないため、最初の数回は面白さが分からず、言葉が理解できず、90分間座っているのが苦痛だった。それでも、めげずに通うほどに、だんだんと興味が増してきて、今ではアッという間に90分経ってしまうようになった。

今日のテーマは「古事記」。古事記の原文を見たのは始めてである。読めない。高校時代、漢文や古文は得意な方だったが、それとも違うようだ。先生曰く、「これは現代の中国人でも読めませんから・・・」と言うことである。漢字を一文字ずつ追い想像するしかない。先週の講義で登場した、日本最初の神様である天之御中主神が冒頭で登場し、その後次々といろいろな神様の名前が出てくる。読み進むうちに、伊邪那美と伊邪那岐が登場した。最初、伊邪那美(女)が「まぁ、なんて素敵な男性なんでしょう」と云い、次に伊邪那岐(男)が「おぉ、なんて素敵な女性なんだ」と云った。その後、二人の間に子供が出来たが、第一子・第二子ともに正常に産まれなかった。その理由は、女性から告白したからだと云う。もう一度やり直し、伊邪那岐から告白し、次に伊邪那美が告白したら、次はちゃんとした子供が産まれた。プロポーズは男性からするものだ・・・という慣習が出来上がった素となるようなお話である。ふぅ~ん。

2010年5月17日月曜日

大観音寺

仏像巡り第2弾は、人形町の大観音寺。毎月17日がご本尊ご開帳ということで、出掛けてみた。

こんなところにお寺さんが・・・・と云う場所にあった。あまりにコジンマリしていて、通り過ぎてしまいそうだった。以前、ネギマ鍋を食べた「よし梅」と路地を挟んだ隣にあり、路地には昔から使い続けられている井戸まであって、大通りに面しているとは云え、レトロな雰囲気が残った一角であった。

ご本尊の観音様は、大昔は鎌倉の大清水寺におられたそうだ。廃仏令により廃棄されたが、だいぶ年月が経ってから頭だけが井戸の中から発見されたらしい。それを人形町の住民が船で人形町の大観音寺に運び、寺の片隅に安置しておいたらしい。その後、もともとあった大観音寺のご本尊が東京大空襲で焼失してしまったため、頭だけの観音様がご本尊に昇格したそうな。なんという巡り合わせか・・・。頭だけのご本尊の前(厨子の前)には、お前立ちの観音様がおられる。知らないと、それをご本尊と間違えてしまいそうなほど美しいお顔をされている観音様である。で、お前立ちの観音様の後ろに、巨大なご本尊の顔が居る。前の観音様との対比のせいか、かなり大きな顔に見える。厨子に隠れて全体像は拝見できないが、立派な様子は分かる。珍しいことにこのご本尊は鉄製だそうな。大戦時に拠出していたら、さぞかしたくさんの武器ができたことだろう、なんてつまらないことを思ってしまった。

拝佛後、人形町在勤の友人と、人形町近辺在住の友人と3人で古民家風の和食処「十四郎(とうしろう)」で豆腐ハンバーグ定食を食べ、レトロな雰囲気の喫茶店でプリンアラモードを食べ、近為でお漬物を買って帰路についた。楽しい人形町散策であった。

2010年5月12日水曜日

中近東文化センター付属博物館

中近東文化センター付属博物館で開催されている『海を渡ったペルシア陶器 -17世紀中国・日本・イランの陶磁器貿易-』を拝観した。

中近東文化センターは、我が家から徒歩15分程度のところに在る。時間的・空間的に壮大で、内容が豊富な中近東の歴史的文化を専門に研究する場として、また、その成果を公開する施設として、三笠宮崇仁親王殿下のご発意のもと、故出光佐三氏の全幅の協力により、1979年10月に開館した。何故この場所に?という疑問はあるが、同センター所蔵の中近東関連コレクションと出光美術館所蔵の陶磁器コレクションが常設されており、なかなか楽しめる博物館である。なにより、一般入場料800円が、三鷹市民と武蔵野市民は100円という地元密着感が良い。

現在催されている企画展は、副題のとおりである。同時代に、同じ絵柄、同じ器形の陶磁器が、東インド会社の発注により、3つの国でそれぞれ作陶されたが、3つを並べてみると土、染料、筆致の違いが一目瞭然で面白い。肥前焼きの図柄を真似したヘレンドの絵皿が並設されていたが、西洋人が描く日本人図は、何ともヘンチクリンな感じである。

2010年5月1日土曜日

シャガ

シャ〜ガが咲いた〜、シャ〜ガが咲いた、小さなシャ〜ガ〜が〜。

シャガは、中国原産のアヤメ科の植物。種をつけないので、日本中のシャガは同じ遺伝子を持つらしい。茶花として用いられることがあり、白紫の小さな姿が何とも愛らしい。

昨年、ネットでシャガの苗を購入し、鉢植えしておいたのが、今年、見事に咲いた。確か3株購入したと思うが、どんどん根が横に伸び、鉢中のあちこちから青葉が生えてきた。飼い主に似たのか、他所で見かけるシャガに比べて背が低いように思えるが、まぁ、愛嬌ってものでしょう。栄養剤を与えるわけでもなく、水だけで1年生き延び、季節になれば自然と花をつけるって、改めてすごい生命力だなぁなんて感心してします。