2010年6月22日火曜日

茗荷竹

生姜のような竹のような・・・

月に1~2度、長野から季節の野菜が送られてくる。近所で買った新鮮野菜も助かるが、庭先や裏山に自然発生した露地物を摘んで送ってくれるのがなんとも嬉しい。今回は、庭の竹林から朝採りしたと思われる筍が、ダンボール箱の底に大量に詰められていた。箱の一番上には、何やら見慣れない野菜らしきものが乗っていた。いつもなら添えられえいる手紙がなく、スッとした姿と香りの正体が分からない。送り主に電話して聞くと、『(何の事かの前触れもなく、唐突に)分からなかったでしょ。手紙書いてたんだけど、お風呂(温泉)に誘われて、急いで出掛けちゃったもので、(手紙を)入れるの忘れちゃって。』との事。

長々と、この野菜にまつわる話を聞いた後、ようやく正体を明かしてくれた。どうやら『ミョウガタケ』と呼んでいる物らしい。これが成長し、木の根元あたりにできるのがミョウガなのだそうだ。ミョウガがどんな風に出来るのか知らない私にはピンとこないが、こいつは、ミョウガの木の新芽ということなんだろうと思う。白いところ(青いところも食べられるらしい)を刻むと薬味になるらしい。送り主は好きではないそうで、毎年、採っては捨てていたらしいのだが、たまには珍しい物を送ってみようと入れてくださったそうな。食べてみると、ミョウガほどエグミがなく、爽やかな夏の香りと食感が楽しめるものであった。薬味好きには嬉しい一品である。

2010年6月9日水曜日

旧麻布区役所庁舎

都市空間研究の提出課題の中に、『自分の住んでいる街の近代建築をレポートせよ』と云うものがある。カメラを首にぶら下げ、レトロな建物探索にイザ出発。

我が街の近代建築(幕末から昭和戦前に建てられた建造物)と云われ、まず思い浮かんだのは旧山本有三記念館(1926年竣工)、そして国立天文台(1921年以降竣工)である。山本有三邸は、広い庭に囲まれた瀟洒な洋館で、「大正時代にこんな立派な家に住んでたなんて・・・。作家って儲かる商売だったのかしら・・・」なんて思わせるような優雅な邸宅である。国立天文台は、森の中に点在する秘密基地のようで、天体観測用のドームからは、夜な夜な怪しい飛行物体が出入りしてそうな雰囲気である。

こんな有名処はつまらない。他に無いのかしら・・・。と思い至ったのが、JR武蔵境駅近くにある日本獣医生命科学大学の建物である。高架を走る電車から見下ろすと、赤い屋根が可愛らしく、明らかに他の校舎とは異質な建物である。近くで見ても、塔屋があったり、バルコニーがあったり、縦長の窓だったりと、近代建築の香りプンプンである。ネットで調べるとすぐに分かった。何とこれは、1909年(明治42年)に建てられた麻布区役所(現在、統合され23区になった東京中心は、昔は35区あった)の庁舎だったのだ。昭和10年、麻布区役所が新庁舎に立て替えられるにあたり、不要になった旧い建物を大学が譲り受け、アメリカ人建築家ヴォーリズにより現在地に移築されたそうな。昭和10年に新築された麻布区役所は、その後、空襲により焼失してしまったそうで、旧庁舎は武蔵野の地に移築されたからこそ100年も残っている建造物ということになる。建物に歴史あり。

2010年6月1日火曜日

天照大神

ルーテル学院大学の日本文化史は、先週に引き続き古事記の一部を読み進めた。日本の神様の頂点に居られる天照大神は、以外にも弱っちぃ御方だったように感じられた。

イザナミを追いかけて、あの世に行って戻ってきたイザナギ。あの世の穢れを落とすため、全身を河で洗い清めるイザナギの左目から誕生したのが天照大神。鼻から産まれた弟のヤンチャさにほとほと手を焼いた兄・天照大神は、“もぉ~知らない!”と、岩戸を閉じて穴にこもってしまった。残された人々は、何とか天照大神に外に出てきてもらおうと、岩戸の前で鶏に鳴かせてみたりしたが失敗に終わった。次の手段は、誰が何を思ったのか、岩戸の前に樽を置き、その上で胸をはだけたアラレモナイ姿の女に躍らせ、皆でドンちゃん騒ぎをした。外の賑やかで楽しそうな音を聞いた天照大神は、“何事?”と、ソロソロと岩戸を開け、外の様子を覗き見ようとする。そこに、外から内に向かって鏡をかざすと、鏡に映った自分の姿を見たお馬鹿な天照大神は、“あれっ?お日様は僕だけのはずなのに・・・。誰?”と慌て、さらに岩戸を開けてしまった。そこを、外で待ち構えていた神々に、エイヤッと岩戸を全開され、外に引っ張り出されてしまった。と云う、何とも情けないような、面白い話であった。(あくまでも個人的解釈です)